天理教百石分教会は、大正14年11月5日に青森県上北郡百石村(現おいらせ町)に設立されました。
天理教百石分教会の設立に至る物語を、天理教百石分教会誌を元に記してみたいと思います。
天理教が大嫌いな小向酉松が入信した理由
時は明治33年。当時の日本はコレラや赤痢が蔓延し、恐ろしい程の死者を出していました。
百石村に小向酉松(とりまつ)という男がいました。当時40才。
その年、1人息子である小向金之丞(きんのじょう)が赤痢にかかってしまいました。
赤痢:もと法定伝染病の一つ。赤痢菌・赤痢アメーバが飲食物について大腸にはいり、腸粘膜をおかして激しい下痢を起こし血便を出す病気。
酉松は医者や薬と手を尽くしますが、事態は一向に好転しません。そうこうしている内に病状は悪化するばかりで、ついには「今夜が山」という状態にまで陥ってしまったのです。
「金之丞さんが亡くなったそうだ」
「若いのに可哀想なことだ」
村では金之丞が亡くなったという噂が広がり、お悔やみに来る人もおられたそうです。
酉松も妻のりえも半ばあきらめかけていたのでしょうか。りえの実家へ知らせろということで、親戚に頼んでりえの実家がある吉田村(現六戸町吉田)へ知らせに使いをだしました。
この吉田村には山内福助(ふくすけ)という天理教の信者がいて、「その人に頼んでみてはどうか」ということになり、早速そこへ行ってお願いに上がりました。
しかし運悪く福助は留守。
その後奥さんから連絡を受けた福助は急いで百石村へ駆けつけてくれました。
そして福助は酉松に向かい、
「助かるも助からないも親の心一つにある」と告げます。
酉松はぐっと息をのみ、静かに目をつむり考えました。
そして、
「オレの心一つで助かるなら、オレはどんなこともする。明日に乞食になってもいい、天理教は大嫌いだが、オレはこの子を助けたい。」
福助は、
「その決心なら助かる。きっと助けていただける。その心を定めてお願いするから、お前もその心でお願いしなさい。」
と言って「おさづけ」をして下さった。
おさづけとは特定の条件をクリアした熱心な信者にだけ許される、病気や怪我の救済儀礼。
この時のやり取りは、当の金之丞本人は死の淵をさまよい意識を失っていたので、おさづけをしていただいたことも何も知りません。
その夜、酉松は板の間に正座して、
「神様、どうか金之丞を助けて下さい。私はどのようにも改心します。この子が助かったなら、神様のご命令通りどこまでも勤めさせていただきます。」
灯明を明かしながら、夜が明けるまで一睡もせずに祈り続けたのです。
金はなくても心一つで助かる
「起きたい」
翌朝になって金之丞が見事に目を覚ましたのです。
周りのみんなは驚きに驚きました。今夜が山と言われ、「もうすでに死んだ」とか、お悔やみまで言われた金之丞がいま、息を吹き返したのです。
不思議な奇跡を見せられた一家は、これを機に信仰に励むようになります。
隣近所に病人が出ると、神様へのご恩返しにとお助けに走ったといいます。
酒屋の旦那が赤痢にかかって死んだ時には、
「金で助かるなら酒屋の旦那は死ぬはずはなかろう。金はなくても心一つで神様は助けて下さる。」
酉松はそう信じてお助けに奔走したのです。

