
・どなたでもご参加いただけます
・布教・勧誘・伝道はしません、させません
不定期開催の「デス・カフェ」です。
ふだんあまり話すことのない「死」について、自由におしゃべりできる場を開きたく開催しています。
「死にゆく体験」ワークショップなどを通じて、感じたことや思い出したこと、不安なことや悩んでいることを自由にお話しください。しゃべりたくなければ聞いているだけでも大丈夫です。
「死」について語る場がありますか?
「死」は誰もが必ず迎えることですが、経験することはできません。
経験できないということは、先人から体験談を聞くことも叶いません。人が死を恐れるのは経験できないことにあるのかもしれません。
簡略化が進む葬儀
コロナ禍で人との距離のあり方が大きく変化し、同時に葬儀のあり方も様変わりしました。
他人との接触を極力排除し、簡潔に終えることが一般的になりました。
コロナ禍が終息しても、葬儀のあり方が以前の形に戻らないということは、そもそも人々がそれを望んでいた結果だと言えます。
つまり、親戚や知人への配慮からくるストレスや、面倒なやりとりをなくして簡単に早く終わらせたいという気持ちが、コロナ禍という追い風を受けて表面化し、あっさりと定着したのだと思います。
葬儀の簡略化は、ストレスからの解放や疲労の軽減などを想定されるかもしれませんが、果たしてどうでしょうか。
葬儀には、単なる儀式だけでなく「大切な人の死を受け入れ、心の区切りをつける」という重大な心のケアの役割があります。
また、「きちんと葬儀をしなかった」ということから、親族から責められたり、後日バラバラと自宅に弔問に来る知人の対応に何ヶ月も追われたりして、精神的にも肉体的にも疲弊してしまうケースが多々あります。
さらに葬儀という「場」は、普段なかなか話題にできない「死」について語り合うことができる数少ない機会でもあります。親戚や知人などへの対応の時間は確かにストレスが多いですが、その時間こそが非日常から日常への切り替えの大切な時間になっていたと言えます。
「死」を語る場はどんどん失われている
かつて日本人の8割が自宅で死を迎えていました。
1976年に病院で死を迎える数が自宅での数を超え、その後2000年代に病院で亡くなる割合が8割という逆転現象が起こります。現在は施設での割合が伸び、病院は7割だそうです。
自宅で死を迎えていた時代、隣近所との付き合いも当たり前に行われていた当時は、井戸端会議などでオープンに「死」が語られていたといいます。
葬儀も、ご近所付き合いも当時から面倒なものであったはずですが、その面倒な時間こそが喪失感の回復(グリーフケア)、メンタルの回復に一役買っていたと言われます。
ご近所付き合いが薄くなり、葬儀が簡略化された現代、「死」について語る場がどんどん失われていくのかもしれません。
「死にゆく体験」ワークショップ
「死」は誰もが迎えることです。「死」について考えるということは、実は「生きること」について考えることでもあります。コインの裏表のように、別々のものではなくまさに表裏一体のものです。
天理教百石分教会は、誰もが気楽に「死」について語り合える場を開きたいと考え、不定期ではありますが「デスカフェ」を開いています。
「どのように死ぬか」、を考えるということは、「どのように生きるか」を考えることなのです。
天理教百石分教会で行う「死にゆく体験」ワークショップでは、架空の物語の登場人物になり、事前に記入したご自身の大切な「人」「もの」「こと」のカードを一枚ずつ捨てていく(失っていく)ワークショップです。
死に向かうことは、大切な何かを失い続けるという喪失の連続とも言えます。
それらを疑似体験していただき、自分にとって大切なことと向き合っていただく時間になります。
多くの方がそうですが、ワークショップを受講するたびに結果が異なります。価値観の変化なども楽しんでいただければと思います。
参加方法
ウェブサイトや公式LINEなどで、事前に告知をして参加者を募っております。参加してみたいという方がいらっしゃいましたら、詳細や注意事項をお読みの上、お申し込みください。
ファシリテーターは小向善幸(天理教百石分教会 教会長)が務めます。
開催までの流れ
ウェブサイトや公式LINEなどで、事前に開催の告知を致しますので、公式LINEまたはE-MAIL(info@com-yoshi.com)よりお申し込みください。
※前日までにお申し込みがない場合、中止となります。

