天理教教祖のお名前を「中山みき」と言います。
親しみと敬慕の念を込めて教祖と書いて「おやさま」と呼ぶのが一般的です。
天理教において教祖はどんな存在で、どんなことをされたのかを簡単にまとめたいと思います。
教祖の3つの役割
教祖には3つの役割があります。
- 月日のやしろ
- ひながたの親
- 存命の理
です。
専門用語が難しいですが、簡単にまとめてみますので一つずつ見ていきましょう。
①月日のやしろ|神様の社
「月日」とは天理教の神様である「親神様」の特徴を端的に表した表現で、「やしろ」とは「社」のことで、一般的に「神が鎮まるところ」を意味しています。
つまり、教祖は親神様が鎮まっている状態だと言うことです。
これを天理教では「月日のやしろ」といいます。
②ひながたの親|信仰のロールモデル
「ひながた」とは「雛形」のことです。
天理教が目指している「陽気ぐらし」を実現するための信仰的な歩みを示し、しかも自らが手本となって示されました。
つまり、天理教の信仰者にとっての「信仰の雛形」、今風に言うとロールモデルとなられた方です。
教祖のひながたを実践することが天理教の基本姿勢であり、陽気ぐらしへの歩みにつながります。その上で、話で伝えるだけでは人間はすぐに忘れてしまうので、書物として教えを残してくれたり、教祖の言葉を書き取らせたりしています。
それらをまとめたものが「原典」と呼ばれ、天理教の聖典となっています。
③存命の理|姿は見えないけど存在している
「存命の理」とは、「教祖の姿は見えないけど存在している」と言う意味です。
月日のやしろである教祖は、見た目には普通の人間と変わりませんが、「親神様が鎮まっている=心は神様の状態」なので、やることなすこと全てが神様の思し召しということになります。
その教祖がひながたの親として一番求めていたことが「おつとめ」でした。このおつとめが勤められることによって世界が陽気ぐらしに向かっていくのですが、当時は厳しい取締りを受けていて、おつとめを勤めると教祖が警察に連行されるという事態が続き、信仰者たちは理と情の間で苦しんでいました。
そこで教祖は「姿を隠す」という方法を取りました。
親神様からすれば、神という存在を人間に知らせること、神がどんな存在か、神が何を目的に人間を造ったのか、それさえ伝えることができれば地上に現れた目的は達成されているようなもなので、姿が見えないということはさほど問題ではありません。
教祖という人間的な存在の姿は見えなくても、これからも今まで通り人間の陽気ぐらしを楽しみに守護し続けている確かな親がいるということ、これが「存命の理」です。
神様からすればさほど問題ではないとしても、当時の人々にとってはやはり大問題でした。
政府や警察はもちろん信仰者までも「これで天理教は終わった」と思ったようです。
しかし存命の理が明かされたことで、信仰者たちは勇気を取り戻し白熱の信仰が一段と加速し天理教はむしろそこから大きく伸び広がりました。
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