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【天理教の聖典】天理教に聖典ってあるの?

原典(聖典)

天理教に聖典ってあるの?
という質問を受けることがあります。

天理教の聖典について簡単にまとめてみました。

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「原典」と呼ばれる3つの聖典

天理教には「原典(げんてん)」と呼ばれる3つの聖典があります。

  1. おふでさき
  2. おさしづ
  3. みかぐらうた

この3つです。

それぞれの特徴を簡単に見てみましょう。

原典1|おふでさき

おふでさきの最大の特徴は何と言っても教祖の直筆ということでしょう。
教祖は神様が入り込んでおられる方なので、「教祖=神」ということになり、教祖直筆ということは神様が直接お書きになったものという捉え方になります。

教祖がこの書き物のことを指して「ふでさき(筆先)」(筆で記したものという意味)とお呼びになっていたことから、敬語の「お」を頭につけて「おふでさき」と呼ぶようになりました。

五七五七七の和歌体が歌が1711首あります。
当時は17冊に分けて記されていましたが、全17冊の「冊」を「号」として改め、「全17号1711首」として1冊にまとめたものを現在では一般的におふでさきと読んでいます。

それでは、第1号の冒頭を少しだけご紹介しましょう。

おふでさき第一号をチラッと紹介

よろつよのせかい一れつみはらせど
むねのハかりたものハないから(1号1)

そのはづやといてきかした事ハない
なにもしらんがむりでないそや(1号2)

このたびハ神がをもていあらハれて
なにかいさいをといてきかする(1号3)

このところやまとのしバのかみがたと
ゆうていれども元ハしろまい(1号4)

このもとをくハしくきいた事ならバ
いかなものでもみなこいしなる(1号5)

きゝたくバたつねくるならゆてきかそ
よろづいさいのもとのいんねん(1号6)

かみがでてなにかいさいをとくならバ
せかい一れつ心いさむる(1号7)

一れつにはやくたすけをいそぐから
せかいの心いさめかゝりて(1号8)

だん/\と心いさんてくるならバ
せかいよのなかところはんじよ(1号9)

このさきハかくらづとめのてをつけて
みんなそろふてつとめまつなり(1号10)

このように、ほとんどひらがなを使って書かれています。
あまり字が分からなかった、当時の階級の低い方々にも親しみやすいようにとの配慮がなされています。
また、漢字を当てないことで、複数の意味が同時に込められているというのも大きな特徴です。

 
 

スマホ用のアプリなら無料で読むことも可能ですので、ぜひインストールしてみてください。

原典2|みかぐらうた

みかぐらうたは教祖が教えられた「おつとめ」の地歌(歌詞)になります。
みかぐらうたも教祖の直筆ということで、広義でのおふでさきという捉え方もできますが、それ以上に「地歌」という要素が最も重要な特徴です。

おつとめについては別のページでまとめますが、おつとめっていうのは歌、踊り、音楽を通して行われる神様とのコミュニケーションです。

そのおつとめを勤める際に唱える歌がみかぐらうたです。

みかぐらうたをチラッと紹介

【第1節】
あしきをはらうて たすけたまへてんりわうのみこと

【第2節】
ちょとはなし かみのいふこときいてくれ
あしきのことはいはんでな
このよのぢいとてんとをかたどりて
ふうふをこしらへきたるでな
これハこのよのはじめだし

【第3節】
あしきをはらうて たすけせきこむ いちれっすましてかんろだい

みかぐらうたは、どれだけ字が読めないとか言葉を知らないと言う当時の人々でも、「3人寄ればきっと読める」と言われた通り、覚えやすく親しみやすい言葉使いなのが特徴です。

 
 
 

原典3|おさしづ

おさしづは教祖からの「さしづ(指図)」を取次人(とりつぎにん)と呼ばれる人が書き取ったものをまとめたものです。おふでさき同様に「さしづ」に敬語の「お」をつけて「おさしづ」と呼んでいます。

教祖からの指図というと、高圧的な感じに聞こえますが、決してそのようなものではなく人間側からの「伺い」に対するアドバイス的なものになります。

一口におさしづと言っても、大きく二種類のおさしづに分けられます。

  • 刻限のさしづ・・・救済実現のために神様側から積極的に語りかけられた言葉
  • 伺いのさしづ・・・信仰の歩み方や教会のあり方などの質問に対するアドバイス

おさしづの量は膨大で、7冊+1冊(捕捉版)にまとめられています。

おさしづをチラッと紹介

参考までに刻限さしづと伺いさしづを一つずつ掲載しておきます。選んだおさしづには特に意味はなく、入力が少なくて済む短いものを選んでいますw

刻限さしづ

さあ/\/\一日身に付き、三段の芽吹く治り置く。今すっきり片付け。すっきりもうようき。もうか知らん、どうや知らん。分からん者すうきりという事、今話筆に付け置け。
(明治20年3月25日)

刻限のさしづはなんの前触れもなく、夜昼関係なく突然言葉が降りるらしく、しかも何のことを指して仰っているのかその時は分からないことが多かったようです。

伺いさしづ

さあ/\尋ねる事情/\、さあ縁談一条一つ理尋ねる。さあ/\尋ねるから事情一つ、さあ/\縁談という縁談事情、さあ/\どうしてこうしてそれからそれ、こうしてどうしてと一つ理ある。長らえての理繋ぎ合うたる中の理であろう。いつ/\までも一つ理結ぼう/\、さあ/\結んでやろう。

(明治40年2月10日 芦津分教会役員宮田佐蔵29才井筒ふみ24才結婚願)

伺いさしづの伺い内容は本当に多岐に渡っていて、結婚のことまでも伺っていることがこのおさしづからわかりますよね。

webでは購入できないっぽい

残念ながらおさしづはwebでは取り扱いがなく、天理教本部近くの書店でのみ購入が可能のようです。
どうしても見たいという方は、お近くの教会を訪ねて見せてもらうのも良いでしょう。

おさしづに関する書籍であればwebでも購入できますので、興味のある方はぜひチェックしてみて下さい。

 
 
 

聖典ではなく「原典」と呼ぶ理由

これまで紹介してきたように、天理教では聖典と呼ぶ習慣はほとんどなく、原典と呼ぶのが通例です。

原典という言葉の由来ですが、天理教には原典を元にして編纂された「天理教教典」と呼ばれる教理体系書があります。
つまり、天理教教典の「原(もと)」になった書物ということで「原典」と呼ばれるようになったようです。

また、原典に分類されるのは教祖の直筆、あるいは直接的な言葉に限定されていて、現存している原典の他にもいくつかそれらしきお言葉などが残されているようですが、確実性の保証(筆跡鑑定や史実)がとれていなければ原典として取り扱われていないようです。

以上、原典の説明を簡単にまとめてみました!
何かの参考になれば幸いです!

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